大船渡高校の佐々木朗希投手は、
巨人や多くの球団がドラフト1位指名するほど高校野球で最も注目されている選手ですが、
佐々木投手は、陸前高田市出身で東日本大震災の際に祖父母と父親を亡くし、
兄の佐々木琉希さんが父親代わりとなり朗希さんを指導しています。
佐々木朗希投手をここまですごい投手に育てたお兄さんはどのような指導をされてきたのかをお伝えしたいと思います。
佐々木朗希は兄の琉希が父親代わり?
佐々木朗希投手は陸前高田市出身だったため、
東日本大震災の際に、祖父母と父親を失っています。
そして、当時小学生だった佐々木朗希投手は家族で大船渡市に引っ越しました。
佐々木朗希投手も兄の琉希さんも小学3年生の時に、スポーツ少年団に入り野球を始めており、
小さい頃は、父親の功太さんがキャッチャーとなり、朗希さんと琉希さんがピッチャーとバッターを交代しながらキャッチボールをしていたそうです。
父親の葬儀の時、涙が止まらなかったと琉希さんはその当時を振り返っていますが、
その涙が止まった後に、『自分がしっかりしなくちゃ』と思った。もともと明るい家族だったので、震災によって暗くなってしまうのがいやで、みんなで頑張りたいと思った。
と語っています。
琉希さんは、当時まだ小学6年生でしたが、
きっとこのときに、父親の代わりとなり家族を引っ張っていこうと心に決めたのかもしれませんね。
大変な震災にあった後、こんな小さなときにこんな風に思えるってすごいですね。
これも、父の功太さんが長男の琉希さんを厳しく育てていたからこその強さだったのかもしれません。
兄の琉希さんの弟への指導がすごい!
佐々木朗希投手の兄、琉希さんも震災後野球を続け、
琉希さんも大船渡高校OBで4番を務めることもあるという実力の持ち主でした。
父親の功太さんは、生前長男の琉希さんのしつけや指導にとても厳しく、
その父親の背中を見て育った琉希さんは、
弟の朗希さんにとても厳しい指導を行っています。
「お前レベルの選手は沢山いる」と野球面でも生活面でも、
兄の琉希さんが朗希さんを褒める姿を母親の陽子さんは見たことがなく可哀そうなほど、琉希さんは弟の朗希さんに厳しかったそうです。
大の負けず嫌いの佐々木朗希投手は、そんな琉希さんをいつも追い抜こうとしていました。
そうしていくうちに、U-18の代表合宿で高校球界最速の163km/hを投げてしまうほど力がついていたのですね!
今は優しいという琉希さんだが、佐々木朗希投手は兄にいろいろ強くしてもらったと感謝している。
まとめ
佐々木朗希は兄の琉希が父親代わりとなり、
母親から見ても可哀そうというほど、弟の佐々木朗希投手への指導が厳しかったということがわかりました。
負けず嫌いだった朗希投手は、その厳しい兄を超えようとしていくうちに強くなっていったのですね。
現在、巨人や多くの球団がドラフト1位を指名するほど、
最も注目を集める優秀な投手となり、天国の祖父母やお父様もさぞ喜んでいることだと思います。
被災で家族や家をなくしても、
残された家族、兄弟で力を合わせ前を向いて進んできた佐々木朗希投手の一家は素晴らしいですね。
今後、佐々木朗希投手の更なる活躍を期待し、応援していきたいと思います。